あじむぴーぷVol.8


「人と人」とのつながりが地域を元気にする

<プロフィール>

1939年 大分県宇佐市安心院生まれ


安心院で生まれ、地元の小、中、高等学校に通い
大分大学教育学部を卒業後は、大分県内の各土地で高等学校の音楽の教師を38年間勤め上げてきた。
音楽一筋。現在は、地区の民生・児童委員。まちづくり協議会の「健康福祉部会」の部会長を務める。趣味は旅行・ハングルなど。


Q1: まず望月さんの趣味はなんでしょうか?


たくさんありますよ。旅行は好きですね。東南アジアの方へはよく行っていました。東南アジアの「島」が好きです。マレーシア、タイランド、香港、インドネシアなどですね。東南アジアの「島」が好きなんです。島に惹かれる理由は、海がキレイだからですね。山に行くよりは海の方が好きです。60歳まではスキューバダイビングもしていましたよ。旅行以外だと音楽をやることです。安心院町のイルミネーションの点灯式の前夜祭でのピアノ演奏や介護施設で音楽の活動もしています。また豊後高田市で週に2回社会人のブラスバンドの指揮と指導に行っています。8/23には定期演奏会もあり私が作曲した曲を披露します。あとはハングルです。定年退職後1年間ソウルに語学留学していました。




教職(38年間 ) 音楽一筋の望月さん。作曲もこなし、知らない曲以外は全て演奏できる。安心院を代表する音楽の父

Q2: ハングルを学ぼうと思ったきっかけは何だったんですか?

 

語学留学のきっかけになったのは、幼い頃に祖父の家が韓国人を雇っていてハングルをよく耳にしていたこと。また教職時代に同和教育や朝鮮人差別などを考え、彼らが住む地区に足を運びコミュニケーションを図る際に、本場の言葉をしっかりと学びたいと強く思ったことでした。38年間の教職を定年退職した後に、韓国(ソウル)に1年間語学留学しました。

      →  韓国に語学留学中の望月さん。いろんな国の、いろんな世代の人と同じ学び舎で過ごす

Q3:1年間の語学留学で良かった経験はなんですか?


1年間の語学留学で良かったのは日本語の通じない世界に飛び込んでいく中で語学の奥の深さを学べたことです。自分が全部分かっているつもりでも向こうの人が話す言葉は多少違います。
日本にも各土地に「方言」があるように、韓国にも方言「サトリ」があり、その微妙なニュアンスが分かるようになったことで多くの韓国の方とコミュニケーションがとれるようになったのは良かったです。
留学していた時は、若い方との交流よりは下宿先のクリーニングのおばさんや年配の方との交流が多かったですね。今はあまりありませんが、留学している時に知り合った方が大分に遊びに来られて、別府や安心院のワイナリーを案内しましたよ。


12月は、キムチ作りに最適なシーズンで
1年分のキムチを作る。現地の本場キムチは辛くて、おいしいんだよ~♪

 

Q4: 教職時代も安心院のご自宅から通勤されていた望月さんが思う     

   安心院町のよい所はどんな所でしょうか?


全国的に胸を張って良いと言える所はないけれど、盆地の中で自然に恵まれているのが1番の良さだと思っています。自然に恵まれた中で、気候風土も非常に温暖で住みやすいです。また、地域で私を取り巻いてる周りの方々が穏やかでとてもフレンドリーです。



Q5: 安心院のまちづくり協議会の「健康福祉部会」の部会長としての立場からまちづくりに対する思いを教えてください?



安心院地区のまちづくりは、比較的にうまくいっていると感じています。まちづくりに対して全く関心のない人もいるけれど、協議会のやっている活動は、それがなかったら存続の危機になっているものもあるからです。協議会に4つの部会があることで細々とではあるが人と人がつながっています。町のいろんな行事(地区体や安心院盆地祭やワイン祭)にしてもまちづくりの人がいなかったら「輪」がなく個人個人の活動になってしまうと思います。協議会があることで「輪」ができ、地域の人たちがつながって活動を盛り上げていると思っています。事務局長の生野さんの力は大きいですよ。まちづくりの中核を担って積極的に活動されていて頭があがりません(笑)また協力隊の面々も協議会を支え、共に活動をしてくれています。協議会があることで地域の疲弊を防止し、安心院地区が元気になっている思っていますよ。

Q6: 今後の安心院地区の課題と考えているものはなんでしょうか?


子供たちの将来のことや、安心院地区の人口の減少をくいとめるには、「空き家対策」に重点において考えていかなければならないと思っています。つい先日も近所の方が豊後高田市へ引っ越しをされました。
そこには、新しく若い家族の入居が決まっていますが、若い方が移住してくれることで、更に新しい家族が生まれるかもしれない。そうなっていったらいいなと考えています。
あとは、まちの「自主財源」ですね。特産品などを生み出すことで、行政におんぶにだっこではなく、自分たちの運営を自分達で自主運営していくことを模索しています。一人ひとりが知恵を出し合って町を活性化していく取り組みをしていければ良いと思っています。



2015年 6月

 インタビュアー:宇佐市地域おこし協力隊