<プロフィール>
1952年 大分県宇佐市安心院生まれ
安心院・院内の小中学校事務職員として勤務。2007年、人間ドックで胃がんが発見され、胃の全摘手術を受ける。同年、職場復帰するが翌年肺がんが見つかり、再度闘病生活を始める。抗がん剤、放射線治療を行いながら、自宅療養する。2011年に退職し、2012年には闘病中に始めた水彩画の作品展を別府にて開催する。
Q1. 河野さんには本ホームページのトップページ、七不思議や鏝絵の絵をたくさん提供していただきありがとうございます。いつから絵を始めたのでしょうか?
「2007年に胃がんの為入院しました。病室で何もする事がなく、妻と友人に勧められて描きはじめました。友人は同じ病気で絵を描いていたそうです。それまでは、年に1回、年賀状を版画で作る程度でした。」
Q2.初めて描いた絵は何ですか?
「宇佐神宮の蓮池を描きました。宇佐神宮が病院の近くだったので、妻が見舞いの行き帰りに写真を撮って、その写真を見ながらベッドの上でスケッチブックに描きました。描いていると気を紛らわすことができました。それからは、妻にいろんな場所の写真を撮ってきてもらい、それを見ながら病室で描き続けていました。」
Q3.風景の絵が多いようですが、どこの地域が多いですか?風景を描いていて何か発見などはありますか?
「風景は旅行先もありますが、やはり安心院が多いです。描いていると子供の頃、この辺はこうだったな、と思い出したりします。もうちょっと早く安心院の風景を描きはじめていたら、まだまだ昔の風情、商店もたくさん残っていて、バスや人が行きかう賑やかな時代の雰囲気が絵に収められていたのではという気がします。あとは、崩れかけの家にも惹かれます。生活感が昔の自分の家を思い出させます。それと風景以外にも花の絵も描いたりしています。」
Q4.ガンが発見された当時、余命4ヶ月と宣告されたそうですが、既に5年の歳月が経ちました。絵を描いていたことが、ガンを克服した事と繋がったと思いますか?
「どうでしょうね…。それも一因かもしれませんが、根拠はありませんからね(笑)。でも病室で何もしないでじっとしていたらいろいろ考えてしまいますね。一緒に入院していた人達は次々にあちらの世界に行かれてしまって、自分もああやって死んでいくのだろう、と思っていました。確かに絵を描いている時は、そういう事を忘れる事ができました。」
Q5.安心院地区の地域おこし、まちづくりに関してなにかアイデアなどありますか?
「いいアイデアがあれば既にやっているんでしょうけど…昨年、別府市のカフェギャラリーで個展をしたのですがそういった文化的で、鏝絵を見に来たお客さんや地域の人達が気軽に寄れて交流出来る場があれば良いなと思います。安心院地区には私の他にもいろいろなことをされている方がいますからね。」
Q6.画集「ふるさと」はどのような経緯で作られたのでしょうか?
「2012年に作ったのですが、入院中より描きためていた水彩画を一冊にまとめました。当時、がん発見から5年近くになりますが、どうにか元気に暮せ、還暦を迎える事ができました。その記念といつも応援してくださる方へのお礼を兼ねて画集にしました。画集の間に入れてある短歌は妻恭子が作ったものです。最近は絵を作るペースも入院中の時よりゆっくりになりました。妻と旅行に行ったり遊びに行ったり日々を楽しみつつ、これからも絵を描き続けていきたいと思います。」
2013年7月
インタビュアー:安心院地区まちづくり協議会事務局
宇佐市地域おこし協力隊