安心院地区について


<安心院>と書いて<あじむ>

 松本清張の短編小説「陸行水行」で


「バスは山路の峠を走るが、その峠を越すと山峡が俄かに展(ひら)けて一望の盆地となる。早春の頃だと、朝晩、盆地には靄(もや)が立ち籠め、墨絵のような美しい景色となる。~」


と紹介されているとおり、安心院盆地は冷え込んだ朝には美しい朝霧が見られる地形にあり、小説家の司馬遼太郎も、盆地の景色としては日本一と絶賛した風光明媚な土地である。

 安心院という地名の由来については種々の説があるが、一説には芦が生えていたことから芦生(あしぶ)の里といったのが後に「安心」に転じ、中世に宇佐神宮の荘園となって倉院が置かれたことから「院」をつけて「安心院」と書かれるようになったという。この盆地の成因については、かつて湖であったという説があり、この説によれば、地名の由来の芦生は、湖が干上がって干潟となり芦が生えていた様を表しているとされる。

 


安心院地区の概況と課題

 人口約3.140人、面積22.1k㎡、21の集落(自治区)により形成されています。「安心院村」は、明治22年の町村実施に伴い誕生し、昭和13年の町制施行により「安心院町」となりました。昭和26年には「竜王村の一部」と合併、昭和30年には「深見村」、「津房村」、「佐田村」、「駅川村の一部」、「南端村の一部」と合併し、新「安心院」が発足しました。これに伴い、旧「安心院町」は「安心院地区」と呼ばれるようになり、平成17年3月の市町合併までの間、安心院町の行政、商工の中心地区となっていました。

 安心院地区の道路網については、宇佐別府道路の安心院ICが開設されたことや、国道500号線、県道山香院内線などの主要幹線道路が縦横断していることから、町内の交通の要衛となっています。

 観光面では、家族旅行村を有し、その一帯にはホテル、温泉、キャンプ場、ワイナリーやレストランなどの施設が充実しています。ここは、宇佐市を代表する交流型観光の中核施設であり、更なる施設関連系や施設整備が求められています。また、下毛・折敷田集落や竜王集落には、鏝絵が点在しており。その保存と併せて景観にも配慮したまちづくりが必要となっています。

 農業面では、丘陵地帯に昭和40年代に始まった駅館川総合開発パイロット事業により造成されたぶどう園が広がり、米とともに農業経済を支えてきました。しかし、米やぶどう、畜産など基幹としてきた農業経営も後継者不足と農業従事者の高齢化による労働力不足が進み、近年、農地の荒廃、農村機能の低下など深刻な問題を引き起こしており、現在においては、農用地の集積利用や高付加価値型農業の展開が求められています。

 安心院地区も他地区同様、若者の定住者数や人口の減少により、児童・生徒数の減少、高齢化率の上昇が進み、核家族化も進行しています。その結果、これまで行われてきた共同作業や地域活動、伝統行事の実施が困難になるなど、集落機能が低下してきています。

 児童・生徒数が減少しているのものの安心院地区には小・中・高等学校が中心部に併設しており、教育の拠点となっています。また、先進的な取り組みとして、地域の小・中学校と高校とが連携した小中高一貫教育も実施されています。今後は地域を挙げてまちづくりの核となる学校との連携や存続活動に取り組まなければなりません。

 このような状況の中、地域が抱える共通の課題を解決するため、従来の集落の範囲を超えて、共に助け合い、支え合う、一体的なまちづくりが必要となっています。